ボディコンの時代が懐かしい。私は自慢じゃないけど、あの当時はブイブイ(死語?)言わせていたので、最近流行りの服だと何だか地味で物足りないのだ。自分で言うのもなんだけど、私は体のラインには自信があるほうなので、メリハリを強調していた、とにかく派手だったあの時代がまたくればいいのに、と願ってやまない。
社会人になった私は、無名の英会話教室の営業を担当することになった。もともと人見知りしない性格だったのと、喋るのが得意だったこともあり、私の営業成績はめきめきと上がり、あっという間に管理職にまでのし上がった。ところが時代とともに英会話教室の経営は傾き、その英会話教室は無くなることになった。
次の職業として私が選んだのは、ジムのインストラクターだった。もともと体のラインを保つためにジムには通っていたのだが、そこのジムで人手が足りなくなり、インストラクター並に上達していた私がスカウトされたのである。英会話教室での話術も武器にし、私のクラスは常に満員状態で、キャンセル待ちができるほどだった。そんな折、ジムの経営者のやり方に不満を持っていた私は、思い切って念願のトレーニングジムを開業することにしたのである。
どんなに優れたインストラクターがいても、そのジムの立地が悪ければ経営は成り立たない。それを英会話教室にいたころから身に染みて知っていた私は、自分の住む県の全ての駅をまわり、近くに大きな団地があって人口が多いにも関わらず、同業者がいない、そして大きなターミナル駅を見つけ、そこにジムを構えることにした。開業資金は両親の残してくれた遺産を全てつぎ込んだ。大ばくちだったけれど、私の読みはあたり、やはり今のジムでも時間によってはキャンセル待ちの状態になるほど大繁盛している。
いつかは2号店、3号店と増やしていくのが今の私の夢だ。
そんな私は、トレーニング全般について詳しいのが自慢。エアロビについて知りたい方は、こちらの記事をどうぞ。
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